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2006年12月16日 (土)

遅くにお呼びが・・・

昨夜は休肝日にしようと思っていたが、やはりチビチビ家で飲んでいた。日本酒の一升瓶の封を切って3日目、できるだけ早めに飲まねば味っこが落ちると思い、しぶしぶ(ほんとかね) 飲んでいたのだ。

いい感じに酔いも回ってきたので、今夜は早めに寝るべがど思っていた矢先、携帯が鳴った。水中カメラマンの中川 隆氏からであった。

中川はニュースステーションでその力量を発揮し、今の報道ステーションやテレビドラマの水中撮影でも引っ張りだこの、ベテランカメラマンである。

今日は中川氏の誕生日で、新橋の「BOX] でさかなくんたちと飲んでいるから来て・・・という話だ。誕生日のお誘いならいがねばだめだべ。んだども、すでに午後10時半だべっちゃー。

タクシーに飛び乗り、高速を使ったら15分で着いてしまった。さかなくんは懸命に絵を描いている。きっと記念に中川氏にプレゼントするのだろう。約30分後、見事な絵が完成した。

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すごいなー、マダイだよ。背びれの数も間違いないという。よくしらべでるねー。撮影プロダクション「カッパ隊」 の代表である中川は本当に嬉しそうだったなー。というわげで、この日も2時頃まで飲んでしまったわげですなー。

追伸: 何人もの方が、オイラの老体を案じてくれておいでです。ほんま、ありがとうございます。メタボリックシンドローム、ノロウイルス、肝硬変、脳溢血、えーと、その他いろいろ気をつけろ、と言ってくれます。ありがとうです。皆さんも油断しないでねー・・・

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2006年12月15日 (金)

ハダハダだー・・・

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待望のハタハタが我が家にやってきた。秋田県民としてはこれほど嬉しいことはない。ハタハタは秋田の県魚だ。(違ったかな?) 毎年冬になると、深海性のハタハタは背の立つほどの沿岸域に産卵にやってくる。

秋田県人はハタハタを食べて大きくなったといっても過言ではない。冬の時期はどこの家でも、朝、昼、晩とハタハタを食べていた。だから、高校生の頃は冬になると、一切他人の弁当には手を出さなかった。皆、おかずはハタハタだからね。それにしてもたった今気がついたけど、ワルだったねー。

今年のハタハタの一番乗りは、(送ってくれた人だけど)、まちゃこのハタハタ寿司だった。ありがとよー。ほんとにうめがった。続いてダイビングショップ、シートピアの金坂さんから生のハタハタ。金さんのハタハタがなくなったと同時に、なんと小野尚幸さんからドーンと再び生きのよいのが届いた。

みんな、本当にありがとよ。うっれしいぜぃ・・・。これだけは誰にもあげられない。たとえ家族でもだ。みーんなオレが食ってやルー・・・。と思ったけど、お客様に差し上げているうちに、「ええーっ、もうこれだけー」となっているのであります。

12月21日から秋田に出かけます。1月4日から、秋田市立千秋美術館で写真展 「海中2万7000時間の旅」 が開催されるので、その飾りつけで出かけます。東京から何人もの専門業者が、4トントラック一杯分の作品とともに、秋田に集合します。

展示から照明まではおよそ3~4日かかりますが、おそらく夜は「らぐすうぃー」(楽酔)で宴会でしょうな。店長のへろみずぅ(博光。尚幸のおどぉど)。待ってろやー。

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2006年12月13日 (水)

忘年会は続く・・・

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イベントなどの企画で知られる 「株式会社クレヴィス」 の代表である岩原氏から、忘年会のお誘いを受け、渋谷に繰り出した。かねてから、大型写真展の企画のお話をいただいていたので、その打ち合わせも兼ねて出席させていただいた。

なんと、親しい写真家がぞくぞくと集ってきたのにはちょっと驚いた。みんな岩原さんと親交があり、大きな企画展を開催している写真家たちだ。

左から水越 武、関野吉晴、(関野さんは本業は医者であるが、グレートジャーニーの冒険家、写真家としてもかなりの人)、そして野町和嘉、三好和義も来る予定だったとか。そしてぼくの4人は、この2次会でもかなり飲んだ。水越,関野、野町、三好氏に関してもっと知りたい方は検索してみてください。撮影は写真家の榎並悦子さんでした。

ぼくは2008,2009年の写真展の企画の話をしました。東京や大阪をはじめとする都市で、大きな展示を企画してますから、みなさん、待っててちょうだいよー・・・。福岡、熊本、京都、仙台、札幌の話もでましたよー。

みんなと11時まで飲んで、それから新橋の 「BOX」 へと向かった。こちらは仕事の話だ。BOXは1月に新橋駅前のビルに移転する。その正面入り口にぼくの作品を展示するので、その打ち合わせだ。

結局、そのあとは飲み会となり、朝の4時まで飲んじゃった。おれはやるときはやるんだー。そんなのちっとも自慢にならないか・・・今朝10時からの打ち合わせは、ちらかったなー、もー。

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2006年12月11日 (月)

次回の映像祭について

わが国の水中写真家と、、ビデオの映像作家を集めての水中映像祭は、これまで4回開催しているが、これまで、そのうちの第3回と、第4回の実行委員長をつとめてきました。これまでご協力いただきました皆様、そしてご来場いただきました皆様には、心より御礼申し上げます。

残念ながら、昨年の第4回目を終えると同時に、諸事情により事務局を完全に去ることをスタッフに伝えました。これにより、ぼくの写真事務所 「株式会社 スコール、」 内にあった事務局を撤退し、今後、作品の出展も控えさせていただくこととなります。

これまで応援してくださったスポンサーの方々や、参加カメラマンの皆さんには申し訳ありませんが、時期がくれば事情を話せることもあるでしょう。何名ものカメラマンやお客様方に、「第5回はどうなってるの?」 とよく聞かれます。

実は今年の初春には、第5回目の実行委員長は決まっております。今後は新たな事務局のほうにお問い合わせください。手を引くとは言っても、水中映像祭には愛着を持っております。皆さん、どうか今後とも、水中映像祭へのご支援をよろしくお願いいたします。今回は業務連絡のような話ですみませんでした。いくお。

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2006年12月10日 (日)

思い出の写真⑱

シオラパルクに入って3日目に、とんでもない大けがに見舞われてしまった。日本人エスキモーの大島育雄さんが、村から1時間ほどの結氷した海の上で、アザラシ漁を行なうというので、取材に同行したのだった。

この日は月が出ていたのか、周辺だけはうっすらと見えた。海は完全に凍りついているため、アザラシたちはすべて海の中だ。だが、自分の呼吸孔だけはいくつも準備している。エスキモーたちは、真っ暗闇の中で、わずか3センチほどの呼吸孔を見つけることから始めるのだ。

大島さんは、氷のクレパスの中に小さな穴を発見。足場を決め、ライフルを構える。この格好で何時間も待機することもあるという。

突然、「ヤーッ」 と大島さんが叫ぶと、犬たちはいっせいに走り出した。ソリにぼくを乗せたままだ。「おいおい、どこ行っちゃうの。聞いてないよー・・・」 ぼくはかなりあせった。

約200メートルほど走ると犬たちはピタリと止まり、ごろんと寝始めた。そう、おとりとなったのだ。やがて銃撃音とともにすっ飛んで大島さんの元に引き返すという寸法だ。

いつ、ライフルが轟くか解からない。そのときのためにスタンバイしておこうと、大きなバックから2台のカメラとそれぞれの積層のバッテリーと、棒のように固まった延長コードを、折らないように全神経を集中させて取り出そうとしたその瞬間、突然前触れもなく犬たちが走りだしたのだ。

犬ゾリの上でぼくの体は宙を舞った。そして、ソリを押すにぎり棒に右顔面から突っ込んだ。不覚にも、右目を強打したらしい。触れるとべっとりとした感触に、効き目である右目は完全に失明したな、と覚悟した。

犬たちが大島さんの所に戻る。「どうしたの???」 と、ぼくの目をみて 「あーっ」 とこえを上げ、すぐ帰ろうと支度しはじめた。

「大島さん、ここでライフル構えて・・・」 躊躇する大島さんに無理やり頼み込んで、ライフルを構える姿をカラーとモノクロで撮った。

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それが終わると、次の撮影にとりかかった。とんでもないと、最後には怒らせてしまったが、「あと一枚、あと一枚」 と頼み込み、なんとか左目で、ムチを振るいながら歩く大島さんと、よき相棒であるエスキモー犬たちをフイルムに収めることができた。

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心配する大島さんにお詫びをし、ぼくはソリにうずくまった。残りはまだ一ヶ月ある。だが、このケガでは滞在中、漁の撮影は不可能だとふんだのだ。新聞は元旦から一週間の連載。最小限の写真でも、今撮らなければならなかった。

1時間の帰路の間中、涙がとめどもなく流れてきた。右目を失ったのか、それならカメラマンはこの仕事が最後だ。心の準備だけでもしておかなければなあ。それにしても無念だよなあ。

大島さんのお宅に入ったとたん、右目付近が大きく腫れあがった。いきなり暖かいところに入ったからだ。大島さんは、右目はかろうじて避けられているが、目に沿って、くの字型にばっくりさけていると教えてくれた。

この地には医者はいないので、傷口を絆創膏ではりあわせ、右目を包帯でぐるぐる巻きにして、その後の取材は左目だけでなんとか行なった。包帯をとったのは帰国後の病院であった。傷口があまりに目に近く、今ではまったく見えないほどである。幸いにして右目には影響もなく、その後も日々、楽しく写真を撮らせてもらっている。

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