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2006年12月 8日 (金)

思い出の写真⑰

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ドキュメント 「エスキモー村・シオラパルク」。、今回はグルメについてお話しましょう。この写真、ちょっとグロテスクかもしれないけど、でも中には「こんなの好きスキー」(そんな人いないか)・・・

彼らの前にある黒い物体はアパリアスというツバメに似た鳥だ。毎年春になると、このアパリアスは大群で飛来してくるので、エスキモーたちはタモを振りかざして捕獲する。それを、死んだアザラシのお腹の中に詰め込み発酵させるのだ。

アパリアスはエスキモーたちにとっては最高のご馳走である。だからか、祭事のときしか食べないようだ。彼らは鳥の羽をむしったあと、器用に小刀を使い、実にうまそうに食べる。

その様子にカメラを向けると、ピーターが 「ノー」 と、レンズをさえぎった。そしてアパリアスの切り身を差出し、これを食べたら撮ってもいいと言う。

口に入れるとまだ凍っていた。そのまま一気に呑み込めばよかったのだが、口の中で感触を味わおうと思ったのが失敗だった。溶けはじめると、口中に、もわーんという生臭さが広がった。

「ヤバイ」 と思いあわてて呑み込んだ。ところが胃袋が受けつけてはくれなかった。ポーンと口まで戻ってきたのだ。もう一度あわてて呑み込んだ。エスキモーたちは、ぼくの反応に釘付けだ。

再び食道付近まで戻りかけたが、このやろうと、ゴクリと唾とともに胃袋へと押し込んだ。そして、無理やりニコリと笑ったみせた。みんなが 「オオーッ」 と、大きくうなずき、仲間入りを認めてくれたのだった。部屋の中には生臭さが充満していた。皆、無心にアパリアスを食べている。こんな幸せはありません、という面持ちで・・・。

そして翌日、シオラパルクに滞在して3日目のこと、カメラマン生命が危ぶまれるほどの、とんでもないアクシデントに遭遇してしまうのです。

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2006年12月 6日 (水)

思い出の写真⑯

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今回はエスキモー美人を紹介しましょう。彼女の名前はレイさんです。氷山の前で写真をとらせていただこうということになり、家から100メートルほど離れたところでの撮影となりました。

外は漆黒の闇なので、彼女の足元にランプをともしての撮影です。このときの気温はマイナス35度もあったため、撮影は時間との闘いだった。

カメラはキヤノンF-1だ。名機として知られるこのカメラは、とくに極地には強いと判断し、この機種にした。その最大のメリットは、フイルムの巻き上げが順巻きである点だ。今では常識のように思えるのだが、昔の35ミリカメラのフイルムの巻上げは、逆巻きが主流だった。

パトローネから巻き上げのときに繰り出されるフイルムが、スプールに逆方向に巻かれるということは、ナイフのように凍りつたフイルムに負荷がかかり、パキンと折れる心配があるのだ。だから、フイルムの巻上げも、手巻きでゆっくりと巻き上げる。一秒間に数枚も撮れるモータードライブなどは、極地では論外である。

F-1はこの点、まったく心配がない。また、出発前にメーカーにオーバーホールに出し、カメラやレンズの油という油はすべて抜いておいてもらった。酷寒の地では、油も凍る恐れがあるからだ。

話を元に戻そう。彼女に氷山に座ってもらい、数枚撮ったときのことだ。突然彼女が前につんのめるように倒れたのだ。そして口から泡をふき、意識を失った。死なしちゃったと思い、気が動転した。

カメラを記者にあずけ、彼女を背負った。二人とも、もこもこに着込んでいるのでうまくおんぶができない。だが一刻の猶予もない。とにかく暖かい部屋まで連れていかなければ・・・

真っ暗闇の中をおんぶし、氷に足をとられ何度もころんだ。ぼくの心臓はバクバクだ。死なないで・・・と、何度も心の中で祈った。家まであと一息というとき、「ダイマ、ダイマ」(もう大丈夫)という、かぼそい声が聞こえた。ぼくはほっとし、泣きそうになった。

彼女の両親にもお礼を述べようと、一緒に家に入った。二重扉に手をかけようとしたそのとき、彼女はいきなり抱きついてきた。極度の緊張だったのだろう。本当にかわいそうなことをしてしまった。

ぼくは彼女の肩を抱きしめ、そして頭をなでた。彼女へのお詫びの気持ちは、それが精一杯だった。すぐにストーブにあたってもらい、芯から冷えた体を暖めてもらったのだった。

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2006年12月 4日 (月)

思い出の写真⑮

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エスキモー村からの第3弾です。今回はあやとりをご紹介します。次々と、見たこともない「アヤッガ」 (あやとり) を披露してくれるのは、長老、イヌートソアだ。元村長のイヌートソアは、植村直己さんに犬ぞりや、ムチの扱い方を伝授した人だ。

上のアヤッガ、なんだか解かるかな? カモシカである。そしてもう1つ、これはなに?・・・。ありゃりゃ、男性のシンボルだ。両手の動きで大きくなったり小さくなったりの優れものだ。

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今この写真を見ていたら、急に中学3年のときの修学旅行を思い出しちまった。最高に悪ガキだったころの話だ。このときの旅行は東京だった。観光コースになぜか、日本橋のデパート巡りが入っていた。

ここに、秋田の田舎もんのガキどもが、ワイワイ方言丸出しでさわぎながら入っていったのだ。いく坊に(おいらのこと)、あんちゃこ、おんちゃこ、まちゃこなど数名で、缶詰売り場をめざした。

売り場には、とっても若くてきれいなお姉さんが立っていた。「おめ、聞げー」「なんも、おめ、聞げってばー」 とみんなで譲りあっている。「へば、おえ聞ぐがら」 と、ぼくはおねえさんの前に歩み寄り、勇気を振り絞って 「がもっこの缶詰あるべが?・・・」 と聞いた。

「はっ?」 と、首を傾けるお姉さん。みんながもう一回聞け、とけしかける。 「がもっこの缶詰あるべが?」 するとお姉さんは 「少々お待ちください」 と言って奥に引っ込んだ。きっと上司に相談しているのだろう。これだけで、お姉さんは東北の人ではないことが解かった。なぜなら、「がもっこ」 は、おちんちんのことなのだから・・・

お姉さんが現れた。すごい剣幕で怒られるかもしれないと、皆、身構えた。まちゃこは逃げる態勢だ。ところがだ、お姉さんはニコヤカにぼくの前に立ち、こう言った。「がもっこの缶詰は、あいにく切らしております」 

ワーっと叫びながらぼくらは逃げた。何度もお姉さんを振り返りながら逃げた。お姉さんは、「まったくもー」 と、あきれ顔だ。だが、今にして思うのだが、さすが日本橋のデパートだ。「そんなものはない」 と言わないところがすごい。

イヌートソアのアヤッガを見ていて、なんとも許しがたいことをしていたガキのころを思い出してしまった。あのときのお姉さんにあやまりに・・・ええーっ、待てよ、あのお姉さん、今いくつ? 当時25歳とすると、もう70はこえてるぞー。いやあ、この場をお借りして、申し訳ありませんでした。

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2006年12月 3日 (日)

秋田にて

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ふるさとで講演があり帰省してきた。夜は、お世話になっているダイビングショップ「シートピア」 の忘年会に参加した。場所は前回紹介した「スィーラグ」 じゃなかった、「ラグスィー」 だった。漢字にすれば「楽酔」 となる。

翌日、秋田空港までシートピアの金坂夫妻がおぐってけだ。集落をいくつもすぎだども、かぎぃっこ(柿っこ)がえっぺえあったなあ。このかぎぃっこを山さえっぺえ植えれば、熊っこも、さどさ(里へ)、こねぐなるんでねべが。

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柿の木さ、トダンっこ(トタン)巻いて、熊が登れなぐした、というニュースを見たども、それで熊っこ、こねぐなるべが・・・。直接、家の中さ入ってくるんでねベガなー。熊には責任がないわけで、共存の道をふみにじった私たちが、熊の身になって物事を考えてあげないといけないと思うわけです。

里山をバックに、金さんに記念写真を撮ってもらったら、金さん、「ええーっ」 と、けげんな顔でぼくの胸元を見ている。何が? と思い、見てみてびっっくりだ。なんと、見事にボタンをかけちがえている。

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この格好で、結構あちこち顔をだした。いろんな店にも寄ったんだ。んだども、だあれも注意してけねがった。なんでだー。ひょっとしたら、今東京ではやってるかもしれねえってがー・・・。冗談じゃない。見ればわがるべー、このだささ加減。もー・・・と怒ったところでどうしようもない、自分が悪いんだからね。それにしても、おれって、こんなドジ、結構多いんだよなー。ボゲがちょびちょび始まったがなあ。

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