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2006年11月29日 (水)

思い出の写真⑭

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地球最北のエスキモー村、「シオラパルク」 からの第2弾です。ちょうどloboさんから、「エスキモーになった大島育雄さんを知ってますか?」 というお便りをいただいていたので、今回はこの写真を紹介します。

loboさん、写真に写っているのは大島さんの奥さんと、お嬢さんですよ。今から隣町の「カナック」 まで、犬ぞりで10時間かけて買い物に行くところです。お嬢さんがそりから転げ落ちないようにと、ぐるぐる巻きにされています。

このときはマイナス40度ほどありました。奥さんの背中には、生後間もない赤ちゃんがおんぶされていました。

大島さんは日大の探検部に所属し、北極点を目指すために先発隊として、何度かシオラパルクを訪れているうちに、すっかりこの地が気に入り、永住を決意します。そして、エスキモーの女性と結婚し、3人の子供のパパとなっていました。

ぼくが一番驚いたのは、どこにでも日本人は住んでいるということです。大島さんは、シオラパルクきっての名ハンターとなっていました。loboさんが愛読した、「エスキモーになった日本人」(大島育雄著)はとてもお勧めの一冊です。

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大島さん一家がお使いから帰ってきたので、頼んでおいた缶ビールを受け取りにいったところ、カチカチに凍っていた。途方に暮れていると、エスキモーたちは、「ビールはこうやって飲むんだよ、しらないの?」 と、いきなりビールをお燗し、ふーふーいいながら飲み始めた。あー、うまかった・・・。ウソだと思ったらやってごらん、ホットビール。おらあ、どうなっても、しらねえどー・・・。

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2006年11月28日 (火)

ねばっちさんへ

北極と南極は絶対行きたいというねばっちさんへ、ぼくの行った北極までのコースを教えてあげましょう。でも、随分昔のことなので、今はもっと楽に行けるのではないかと思うけど・・・・。

まず、デンマークまで行って、一週間、許可申請に時間がかかりました。軍用機に搭乗するための許可でしたね。デンマークのコペンハーゲンから、グリーンランドのサンドロストロムフィヨルドまでは、旅客機でオーケーだけど、そこから北に向かう飛行機はなかったので、米軍の軍用機に兵士たちとともに乗り、「NATO」 の氷の地下基地、「チューレ」 まで行きました。

冬はマイナス30度にもなる、この地下のNATOの基地はすごかった。この基地で3年頑張れば、なんと一生税金が免除されると聞いたなあ・・・。

このチューレからは、今度は米軍のヘリコプターをチャーターして、エスキモー村の 「カナック」 まで飛んだわけです。チューレの民家に泊まったとき、窓に降った雪が、あっという間に雪印マークのような結晶になったのを見て、とても感動したものです。

カナックは、かなり大きなエスキモー村で、スーパーなどもありました。でも、地球最北の村、「シオラパルク」 は、カナックから犬ぞりで10時間もかかる、最大の難コースだった。

報知新聞の特派カメラマンとしての旅だったけど、元旦からの連載用はモノクロ、雑誌用にカラーと、両方撮るのは本当にしんどかった。

ファインダーにおでこをつけた瞬間、カメラの金属部がおでこに張り付き取れなくなったりした。犬ぞりが正面から向かってくる写真を撮ろうと、エスキモーに合図をしても、まったく見えず、ゴーという音だけで何度も素通りされ、結局、感で撮ることになったりと、極地では沢山の貴重な体験をさせていただきました。

一冊の本を書けるほどの、おかしなことがいっぱいあったなあ、ねばっちさん。でも、冬は絶対さけたほうがいいよー。

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2006年11月27日 (月)

思い出の写真⑬

皆さんこんばんわ。今日から数回に分けて、秘境の中の秘境とも言われる、地球最北の村、グリーンランドのシオラパルクの写真をご覧いただきましょう。現地は今、一日中太陽が顔を出さない、暗黒の世界です。毎年この時期を迎えると、、死にもの狂いで取材した、当時のことが懐かしく蘇えります。

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写真は、エスキモー村 「カナック」 から、シオラパルクに向かう途中に撮ったものです。時間は午後3時頃、満点の星が頭上に輝いていました。エスキモー犬が寝ているのは結氷した海の上です。

気温はマイナス40度。この氷の洋上を、吹きさらしの犬ゾリに乗って10時間も走るんです。気がおかしくなりそうだった。ガイド役のエスキモー親子も寒くなったのか、途中で紅茶を湧かせ、飲ませてくれました。

すかさずカメラを用意し、撮影を始めたのだが、エスキモーの父親が早く飲めと言う。わずか2分ほどして紅茶をいただいたわけだが、なんと、完全なアイスティになっていた。

エスキモーたちの視力のすごさにも度肝を抜かされることになる。犬ゾリでわずか1時間ほど走ったころ、父親がぼくに振り返り、「シオラパルク、シオラパルク」 と叫んだのだ。

どんなに目をこらしても、村の明かりなど見ることはできなかった。かれらの視力は2,0どころか、20,0くらいはあるんじゃあないだろうか。

シオラパルクは、世界的な冒険家として知られる植村直己さんが、初めて訪れたことで知られるようになった。人口わずか50名の小さな村だ。北極点までは1千キロの距離にあるため、植村さんはこの村で、犬ゾリの扱いやムチの使い方などを習得し、その後、見事に単独による北極点到達という偉業を打ち立てたのだった。

ぼくはシオラパルクに発つ前、植村さんと電話でお話をさせていただいたことがある。あれこれの注意点を、とてもやさしくアドバイスしていただき、とても参考になった。

その後の1984年2月13日、植村さんはマッキンリーの登頂を試み、そこで消息を絶ち、帰らぬ人となってしまった。

無事にシオラパルクに到着すると、「ナオミ知ってるか」「ナオミ」「ナオミ」 と、大勢の人たちから声をかけられた。植村さんが、いかにエスキモーの人たちに愛されていたかが伺い知ることができた。そして、「冬の極地は辛いよう、でも頑張って」 と語ってくれた植村さんの電話口の声が、再び耳元で聞こえたような気がした。

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浜松に行ったどー

日曜日は朝から浜松へと向かった。大型パネルの作品を2点も求めていただいたお客様のもとえ、業者の方たちと展示のために出かけたのだ。

浜松では展示のあと、どうしても出かけてみたいジャズ喫茶があった。浜松駅前の名鉄ホテルの近くにある、「Tournez La Paze](トゥルネラパージュ)である。フランス語でページを開く、あるいはリフレッシュする、という意味が込められている。

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このスピーカーを見てほしい。「ティアック」 というメーカーの製品だが、カタログを見て、思わずゼロを数えてしまったほど高価なスピーカーだ。専門家が見たらうなるほどの、音響効果抜群の製品を備えている。

しばらくの間、実にのんびりとコーヒーを味わいながら、素敵なジャズに酔いしれてきた。すべてLPレコードにこだわるお店のオーナーは、さぞかしジャズにうるさい、ヒゲもじゃのおやじを想像するかも知れないが、それが違うんだなー。

まだうら若き、美しい姉妹が経営してるんですね。なぜこのお店知ってるんだーってが・・・。それはね、ぼくの写真の弟子であり、今は立派な歯医者さんの矢野一郎さんという人がいてな。大阪の園田で、それはそれは立派な歯医者さんを経営していてな。

えーと、話が長くなるから割愛するけど、ま、そんな訳です。ますますわかんねーてが・・・。

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右が姉の裕理さんと、妹の真理さんです。ジャズの好きな方はもちろんのこと、のんびり本物の音楽を鑑賞したい方は是非、行ってみてください。この音響システムで聞くと、ジャズってこんなに素敵だったのかと思えるはず。ぼくは年内にもう一度出かけ、天竜市にある、日本画家の「秋野不矩」(あきのふく) 美術館にも行こうと思っているんです。

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